日野原重明先生、逝く
日野原重明先生が逝かれました。
心よりお悔やみ申し上げます。
日野原先生の思い出といえば、なんといっても「ラジオ・カフェ・デ・モンク」にご出演いただいたことです。
東日本大震災直後からそれぞれの場所で活動を始めた私たちは、強烈な縁で引き寄せられ、「心の相談室」を立ち上げました。「心の相談室」を根城にして、更に活動を活発化させていったわけですが、その活動のひとつに「ラジオ」がありました。移動傾聴喫茶=カフェ・デ・モンクは、寄り添い活動としては有効だが、ピンポイントだ。もっと広範囲に被災者に寄り添えないないだろうか? いろいろ考えて思いついたのが「ラジオ」でした。宗教者や医療者、学者、被災現場で働く活動家をスタジオに招いて「明日を生きるヒント」をいただこう。それがラジオ版の「カフェ・デ・モンク」。2011年の10月1週目からスタートさせたのですから、我々スタッフも相当ぶっ飛んでいたのですね。
その年のクリスマスイヴと翌年の元旦、「ちょっとビッグなゲストをお招きしてリスナーさんに喜んでもらいたいね」ということになりました。
白羽の矢を立てたのが日野原重明先生でした。
「ビッグ過ぎる!」「スケジュールを押さえられるのか?」「百歳だ。仙台までは来れないだろう」「俺たちが東京へ出向けばいい」、…いろいろもめたあげく、当たって砕けろ、ということで打診しました。
なんと事務所から「出演オーケー」が出たのです!
11月28日。エフエム仙台の看板アナ板橋恵子さん、金田諦応、三浦正惠、3人で出かけていきました。
日野原先生は、虎ノ門の某録音スタジオに時間通りに到着。なんと付き添いもなく一人で、3Fまで「階段」を使って上ってきたのでした。もう、のっけから驚き!
収録はスムーズで、「クリスマスイヴ」と「元旦」ぶん、二本をアッという間に録ってしまいました。しかも、クリスマスの意味、元旦の意味、百年生きてきた日野原先生でなければ語りえないじつに滋味にあふれるお話をなさったのです。金田と三浦は、スタジオの外でただただ圧倒され、感動しまくっていたのでした。
私たちはこの年の12月20日、石巻で被災者のためのクリスマス・イヴェントも企画していました。そのイヴェント用にも日野原先生からメッセージをいただけたらいいね、という話をしていたのですが、強行スケジュールの二本録りです。疲れていたらやめよう、ということにしていました。ところが日野原先生は疲れたそぶりを全く見せず、板橋アナの肩なんか抱いちゃったりしてニコニコ記念写真に応じています。
金田がおもむろに「先生、じつはもうひとつお願いが…」
事情を話すと、先生は「いいですよ。ではさっそく録音しましょう」と言って再びスタジオに入っていくではありませんか。そして、「石巻のみなさん…」、先生は、熱く、心のこもったメッセージを語り始めたのでした。メモなんか勿論ありません。いやあ、あのときは感動したなあ。人のために生きるということがこれほどすがすがしいものなのか、ちょっとは爪の垢でも煎じて飲まにゃ、と思ったものです。
長くなってしまいました。日野原先生が日本の医療界に果たした功績等は多くのかたが語るでしょうから、「心の相談室」に関連することで印象に残っていることをご披露しました。日野原先生がご出演した「ラジオ・カフェ・デ・モンク」は、「心の相談室」のホームページから入っていただき、「ラジオ・カフェ・デ・モンク」のアーカイブで聴くことが出来ます。
(2017年7月18日、三浦記)
日野原先生と三浦(2011.11/28)